母の日をいつだったか覚えていますか?なぜカーネーションを贈るのかも知りたい!
母の日と言えば覚えているつもりでも、意外といつだったか忘れてしまいがち。
あなたは母の日がいつなのか、ちゃんと答えられますか?
いつなのかなかなか覚えられない、と言う方はその日に制定された理由をひも解いてみてはいかがでしょう。
そしてその理由には、母の日にカーネーションを贈る理由も関係しています。
母の日の制定、カーネーションを贈る風習は、ある女性とその母親の絆から生まれたものなのです。
今回は母の日がいつなのか、そしてなぜその日になりカーネーションを贈るようになったのかについて、ご紹介します。
母の日はいつ?なぜその日になったの?
母の日は5月の第二日曜日です。
言われると「そうだった」と思いだす方も多いのではないでしょうか。
でもなぜ第二日曜なのでしょう、なんだか中途半端な気がしますよね。
実はこの第二日曜というのにはある理由があるんです。
母の日が制定された理由
母の日はアメリカからやってきたイベントです。
アメリカにすむアンナ・ジャービスという女性が、母親が亡くなった後に、尊敬や感謝の気持ちを残しておきたい、と言う理由で始まりました。
アンナの母親はアン・ジャービスという女性運動家で、女性の平和運動家のリーダー的存在でした。
南北戦争において、アン達のグループは傷ついた兵たちを、南軍も北軍も関係なく看病したと言われています。
南北戦争の後も平和や子供たちの教育等を支援し尽力を尽くしたアンは、1905年5月9日に亡くなりました。
このように社会的に活躍し、自分も育ててくれたそんな母親を、娘のアンナはとても尊敬していました。
そして亡くなった後もっともっと感謝の気持ちを伝えればよかったと後悔していたそうです。
だから他の人にそんな思いをさせたくないと母の日の運動を始めたと言われています。
そして母が教師を務めていた教会で、1908年5月の第二日曜日に母の日の式典を行ったそうです。
教会もアンナさんの母親の祝日を作る運動に賛同していたそうですよ。
この運動はどんどん賛同者を増やし1914年には「5月の第二日曜を母の日とする」という法律ができました。
そして1915年に初めて「母の日」が誕生しました。
こう言った話を聞くと、5月の第二日曜が母の日というのを忘れにくくなりますよね。
ぜひエピソードと一緒に覚えていてください。
母の日には、なぜカーネーションを贈るの?
なぜ母の日が5月の第二日曜なのかという事は分かっていただけたと思います。
では、なぜ母の日にはカーネーションなのでしょう?
それはやはり、アンとアンナの親子が関係しているんです。
カーネーションはアンの好きな花
そう、カーネーションは母の日を作ったアンナの母、アンの好きな花でした。
特に白のカーネーションが好きだったアンの為に、アンナは母の日の式典で白いカーネーションを祭壇に飾ったと言います。
白いカーネーションは亡くなった母にささげられたもの。
なので白のカーネーションは亡くなった母にささげる色、生きている母親には赤のカーネーションをプレゼントする流れができました。
現在赤が主流となったのは、母親がいない子供への配慮や差別を生まないため、そういった決まりをなくしたからと言われています。
とは言え、今でも白のカーネーションは元々亡くなった母にささげる色なので、生きている母親にプレゼントするには避けた方が良い色、と言われています。
母の日を作ったアンナの最期は、とても悲しいものでした
このように、自身の母親の為「母の日」推進に尽力を尽くしたアンナですが、実は何年もして母の日反対派になります。
母の日が商業主義的なものとなったからです。
母の日にカーネーションがとても高値で売られているのを見たアンナは、母の日を商業的なイベントにすることが許せず、母の日のあり方に反対しました。
しかし思いとは裏腹に、母の日は商業的なイベントへとどんどんなっていきました。
アンナは全ての私財を投げうち反対しましたが、力及ばず療養所で衰弱して亡くなっていったそうです。
母の日は母親への感謝の気持ちを伝えましょう
無念な思いを持ったまま亡くなっていったアンナ。
しかし彼女の意志を受け継ぐことはできます。
母の日はプレゼントを渡すだけの日ではなく、感謝の気持ちを伝える日だという事をしっかり覚えておきましょう。
そして母の日には、たくさんの感謝の気持ちを込めて「ありがとう」と伝えることが大切です。