母の日や父の日、敬老の日がなぜできたか知ってる?その由来をご紹介します!

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母の日や父の日、そして敬老の日は、子供が親や祖父祖母に感謝をささげる日。

母の日にはカーネーション、父の日にはバラ、敬老の日には体をいたわる等いろんな事をしている方も多いはず。

でもこれらの日って一体どうやって生まれたのかご存知ですか?

これらが生まれた背景には、親子の絆や感謝をささげる日を設けたいといった思いから生まれたものなんです。

今回は数ある祝日の中でも、母の日、父の日、敬老の日の由来についてご紹介しましょう!

娘の母を思う気持ちから生まれた母の日!

まずは母の日に関する由来からご紹介しましょう!

母の日は日本生まれではありません

母の日はアンナ・ジャービスというアメリカ人の女性が運動を起こしたことで生まれました。

アンナは女性運動家たちのリーダーであった母親をとても尊敬していました。

先生等も同時に行い、忙しい日々ながらも、母親はアンナをとても愛情深く育てていたようです。

しかし、アンナの母親は1990年5月9日に亡くなり、アンナはとても悲しみました。

アンナは母親の事を1人でも多くの人に知ってもらいたいと、運動を起こしました。

その初めの運動が、教会での母親の追悼式です。

これが母の日の原型となったのです。

1915年には運動の甲斐があり、母の日を法律で認めるまでになりました。

なぜカーネーション?

母の日といえばカーネーションですが、これもアンナと母親が関係しています。

あんなの母親は白いカーネーションが好きでした。

ですからアンナは母の日のたびに、好きだった白いカーネーションをささげたそうです。

ただ、現在では白ではありませんよね。

これはアンナの母親が亡くなっていたため、白のカーネーション=死人にささげる色とされたからだと言われています。

そこから赤は生きている母親に、白は亡くなった母親にという流れができたのですが、母親がいない子への配慮などで赤が一般的になったと言われています。

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父の日に隠された親子の絆とは?

それでは父の日の由来はどんなものなんでしょうか?

大好きだった父の為に運動を起こしたソノラ

父の日の発起人は、こちらもアメリカ人でソノラ・スマート・トッドという女性です。

彼女の父は兵隊で、南北戦争にも参加していました。

母は末っ子のソノラを含めた6人もの子供を抱え、いつもいない父に代わりしっかりと育てていました。

南北戦争が終わり、父が帰ってくると、入れ替わるようにして母は過労で他界してしまいます。

父は残された子供たちを必死に育て上げ、愛情深く接しました。

そして再婚することもなく6人全員を成人させた後、父は亡くなります。

ソノラはそんな父が大好きでとても感謝していました。

ちょうどその頃「母の日」の噂を聞いたソノラは、ならば父の日も作ろうと声をあげます。

1910年6月19日に最初の父の日の祭典があり、6年かけて父の日は広がっていきました。

父の日にはバラを

実は父の日にはバラをプレゼントするのですがご存知でしたか?

これもソノラとその父親がとても深く関係しています。

亡くなった父の墓にソノラが白いバラを供えたからです。

これも、カーネーション同様の流れで赤いバラは生きている父、白いバラは亡くなった父の為にと分かれます。

しかし日本では黄色のバラが一般的。

実は日本で「父の日黄色いリボンキャンペーン」というものが行われ、父の日=黄色というイメージがあるため、黄色いバラが一般的なのだと言われています。

敬老の日はどうやって生まれたの?

それでは最後に、敬老の日の由来についてご紹介しましょう。

3つの中では敬老の日のみ、日本で生まれた祝日なんです。

「子供の日」があるなら敬老の日を!

発端は兵庫県多可郡野間谷村という場所の村長と副村長でした。

「お年寄りを大切にし、その経験と知識で村を作ろう」と1947年9月15日に「としよりの日」を定めたことが最初でした。

この9月15日は聖徳太子が当時の孤児院や老人ホームのような役割をしていた「非田院」を作った日だからです。

「子供の日があるなら、としよりの日もあってしかるべき」といった声もあり、より失礼のないようにと名前を変え1965年に「敬老の日」が誕生しました!

あなたは全ての由来を知っていましたか?

意外と知られていない、祝日の由来。

今回ご紹介した3つの由来はぜひ覚えておいて、父や母、そして祖父祖母に心からの感謝をささげる日にしてくださいね!

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