父の日がいつ生まれて、どんな由来があるかが知りたい!

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あなたは父の日がいつ、どうやって生まれたかご存知ですか?

なんとなく母の日があるから父の日も一緒に作った、と思うかもしれませんが、そうではありません。

ある女性が働きかけたことが由来なんです。

そこには、その女性と父親との親子の絆がありました。

今回はそんな父の日がいつ生まれて、どんな由来で誕生したのかをご紹介します!

父の日はいつ生まれたの?

まず最初に、父の日がいつ生まれたのかご紹介しましょう。

父の日は1910年の6月19日に生まれました。

6月19日に教会で最初の父の日のお祝いをしたとされています。

ただ当時は一般的なイベントではなく、このお祝いが世間的に認知されたのはその6年後だと言います。

このイベントが一般的になった理由は、当時の大統領ウッドロー・ウィルソンが1916年の父の日に行った演説がきっかけだと言われています。

ちなみに、父の日が6月の第3日曜とされたのはそれから50年後の事です。

1966年、36代目大統領のリンドン・ジョンソンが、父の日を称賛する大統領告示を発した事で、その日に定められたそうです。

国民の中で父の日はどんどん浸透していき、1972年には国の記念日とされています。

日本で浸透されていったのはさらに遅い1980年代。

1950年代には日本にも入ってきていたようですが、その頃はかなり認知度が低かったようです。

特に日本にとって父の日は、比較的新しいイベントといえそうですね。

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父の日の由来は、ある女性の父への思いからでした

それでは父の日の由来についてご紹介しましょう。

父の日が生まれたのは先ほどもご紹介したとおり、アメリカでした。

実は母の日もアメリカで生まれたのですが、それを知ったソノラ・スマート・ドット(ジョン・ブルース・ドット夫人)が父の日も作るべきだと言った事がきっかけでした。

ソノラと父

ソノラの父親は軍人だったそうで、1861年に始まった南北戦争にも駆り出されており、戦争中はほとんど家にいなかったそうです。

その間、ソノラの母親は女手一つでソノラを含む6人の子供を育てていました。

やがて戦争が終わり父親が帰ってくると、入れ替わるようにソノラの母親が過労により死去しました。

その父親が6人の子供たちを男手ひとつで育て上げ、彼らがそれぞれ成人した後亡くなったそうです。

ソノラは再婚もせず、一生懸命自分たちを育ててくれた父親に深く感謝していたようで「母の日があるなら父の日も!」と声をあげました。

ソロラが声をあげたのは1909年

ご紹介したように、このソノラこそが、父の日ができるきっかけとなった人物です。

ソノラが声をあげたのは1909年の事でした。

牧師教会に対して父の日のお祝いをするようにと嘆願しました。

そして翌年の1910年6月に、最初の父の日のお祝いをしたというわけです。

この6月という月は、母の日の次の月という事ではなく、ソノラの父親の誕生月だそうです。

父の日にバラをプレゼントする習慣

母の日はカーネーションを贈るのが定番ですが、父の日にも定番の花がある事をご存知ですか?

それはバラです。

このバラをあげる習慣も、ソノラが由来なんです。

ソノラが白いバラを父の墓に供えたことに由来しています。

そこから父親が生きていれば赤、亡くなっているなら白を挙げる習慣が生まれました。

日本では、黄色のバラが一般的

アメリカでは赤や白のバラを挙げるのが伝統的なようですが、日本では黄色いバラをあげるという方も多いはず。

これは「日本ファーザーズ・デイ委員会」という団体が「父の日黄色いリボンキャンペーン」というものを行っていて、この事が融合して黄色いバラをあげるという事につながった、と言われています。

黄色は「世界一大切にされている色」といわれ、イギリスでは「身も守る色」としても知られています。

アメリカでは身を守るという意味から、「愛する人の無事を願う色」とされ、更に「愛と信頼、尊敬を表す色」として世界で広がっていったのがこの黄色という色です。

まさに父親に贈るにふさわしい色と言えますね!

ただ、黄色のバラ一本では「嫉妬」や「別れる」といった花言葉もありますので、他の色と混ぜて渡すのがおすすめです。

父の日は素敵な親子の絆から生まれたイベントでした!

ソノラが父親を思う気持ちから生まれた父の日。

なんだか温かい気持ちになりますね。

ぜひあなたも父の日にはとびっきりの感謝の気持ちを伝えませんか?

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