七夕の由来を説明できますか?保育園児でも分かるように簡単にご紹介します!
意外と知られていない七夕の由来。
日本での七夕の由来を調べると、平安時代時代にまでさかのぼるほど古い歴史がある行事です。
しかし、この由来を保育園など小さな子に説明するとなれば、少し困ってしまいませんか?
保育園児くらいのお子さんは、好奇心旺盛で何でも知りたがるもの。
でも由来をそのまま話しても、意味を理解できない子も多いはず。
そこで今回は、保育園児くらいの小さな子でも分かりやすいように、七夕の由来を簡単にご紹介します!
もしお子さん等に七夕の由来を聞かれたら、今回の記事を参考にして説明してみてください。
七夕の由来を、保育園児でも分かるようにご紹介します!
それでは早速、七夕の由来についてご紹介しましょう。
まずは少し詳しくご紹介します。
そもそもは中国のお祭り
七夕は中国からはいってきたと言われています。
「織姫と彦星」の話や、「乞巧奠」(きこうでん)というお祭りがその由来です。
元々この二つは関連付けがあり、織姫と彦星にならって作られたのが乞巧奠です。
乞巧奠は織姫の星に向かって織物の上達を祈るお祭りですので、七夕が「織姫と彦星」のお話を基に作られたことはわかりますよね。
更に日本に昔からあった棚機(たなばた)と言われる、織物を神様に捧げて災厄を避けるといった神事も由来の一つにあると言われています。
七夕を「たなばた」と読むのは、この棚機がその語源です。
それではここから、もう少し具体的な話を、保育園児でも分かるようにわかりやすくご紹介しましょう。
分かりやすい「織姫と彦星」のお話
昔々、織姫という女性が天の川という川の近くに住んでいました。
織姫は天の神様の娘で、織物の仕事をしていました。
とても美しい織物を作る織姫ですが、天の神様は織姫が年頃になっても織物にしか興味がないことを、とても心配していました。
そこで神様は織姫に似合うような男性を探し、彦星という男性を見つけました。
彦星はとても真面目で、一生懸命牛の世話をしていました。
2人はすぐに恋に落ち、すぐに結婚しました。
しかし結婚してからというもの、2人は仕事をしなくなり神様はとても怒りました。
そこで天の川の東と西に2人を離してしまいます。
織姫は毎日泣き続け、さすがにかわいそうに思った神様は、一生懸命仕事をすれば一年に一度だけ合う事を許してくれました。
そして二人は一生懸命仕事をし、一年に一度の七夕の夜に再会するのです。
乞巧奠
乞巧奠というお祭りがありました。
織姫のように織物がうまくなりますようにと願うお祭りです。
お話にも出てくる織姫は、とても織物が上手でしたよね。
織姫は天に住んでいますから地上から見ると星としてみることができます。
乞巧奠にはこの織姫の星に向かってお祈りをして、織物が上手になりますようにとお願い事していました。
でも今の七夕は、織物がうまくなりますようにというお願いだけではなく、いろんなお願い事をしますよね。
乞巧奠はとても昔に行われていたお祭りです。
何千年もたつうちに「織物がうまくなりますように」というものが「願いを叶えてくれますように」という風に変化していきました。
短冊の話
お願い事を書く短冊は日本ならではの風習です。
日本では平安時代に笹の葉に歌を書いて七夕の日に飾っていました。
それが江戸時代になって習字の上達を祈って短冊に習字でお願い事を書いたのが短冊の始まりです。
七夕といえば短冊ですが、歴史はそんなに古くないんですね。
棚機
七夕はなぜ「たなばた」と読むか知っていますか?
もともとは「しちせき」と読むのですが、日本にあった棚機というお祭りから読み方を取ったと言われています。
棚機は、棚機津女(たなばたつめ)と呼ばれる機織りをする女の人が、織物を作って神様に捧げ、悪いことから守ってもらうお祭りです。
このお祭りは7月7日に行われていたことから、中国からはいってきた「しちせき」を「たなばた」とよむようになりました。
子供に話す時は教訓も交えて
七夕祭りの由来について御理解いただけましたか?
できるだけ分かりやすくご説明しましたので、お子さんに説明する時に参考にしてみてはいかがでしょう?
せっかくですので分かりやすいだけでなく、教訓も交えるとよりいいですよね!
特に「織姫と彦星」の話は「遊んでばかりいてはいけない」「一生懸命すれば、それに似合った物を得ることができる」など、七夕の由来から、ぜひいろんな事を教えてあげてください!